こんにちは☀
いつも読んでくれてありがとうございます!
きょうはドイツの負の歴史といってもいいダッハウ強制収容所について書こうと思います。私もここに行くかどうか迷ってたんですけど、実際に行ってみないとナチスがどのようなことをしていたのか分からないだろうと思い、行ってみることにしました。
ダッハウの街は本当に静かで普通の街でした。
ダッハウ強制収容所は駅からバスに乗って10分ぐらいの場所にあります。
めったにバスに乗らないので行けるかどうか不安だったんですけど、思っていた以上にたくさんの人が訪れていました。
zb,ドイツ人や中国人、フランス人など、、、
このダッハウ強制収容所はナチス占領下の1933年にドイツで初めて作られた強制収容所です。
ここでは約3万人もの人が命を落としました。
逆光で見えにくくて申し訳ないんですけど、本当に広い場所でした。
次はダッハウ強制収容所が作られて以来、どのような人が収容され、
どのように過ごしていたのかを紹介したいと思います。
上の写真のようにドイツにはたくさんの収容所がありました。
私はこれだけたくさんの収容所があったなんて知らなかったのでとても驚きました。
またユダヤ人だけではなく、ドイツ人・ポーランド人・オーストリア人・ロシア人など様々な人種の人も収容されていました。
一番右端の写真は日本で言う「欲しがりません、勝つまでは」というポスターです。
こちらはヒトラーが有名になるきっかけとなった「ミュンヘン一揆」の際の資料です。
世界史の授業で習った人もいるんじゃないでしょうか?
ダッハウ強制収容所で働いていた人のキャリアパスについて書かれています。
ここで収容されていた人がどのような仕事をしていたのかが書いてある資料です。
実際に収容されていた人が使っていた食器。とても安っぽいものだなあと。
また、十分な食事も与えられてなかったため、栄養失調等で亡くなる人も多かったらしいです。
これはルール違反などをして収容者に対して懲罰を与えるための鞭です。
こういうものも展示しているのかと驚きました。
秘密警察による監視。
この写真を見てもらうとどれだけ酷い環境にあったかわかると思います。
普通はこのベットに一人ずつ寝ていると思いますよね?けれど一つの仕切りごとに2、3人が寝て生活していました。
上の写真はガス室の写真です。
これは亡くなった人を火葬するための火葬場の写真です。
この場所では、実際に生活している人が働いている様子や亡くなった人を撮影したビデオがありのまま放映されていました。
特に衝撃を受けたのが、最初折り重なった木だと思っていたのが、人の遺体の山だったということです。ここで酷使されていた人は先程の写真のように痩せ細って亡くなる方が多いです。本当に人間ではない扱いがされていたのだなと実感しました。
この横には畑の跡地が広がっていて、ここで収容されていた人たちが働いていました。
ドイツには目を背けることなく歴史の事実を知るためにここだけではなく、各地に強制収容所の跡が残されています。ミュンヘンからもUバーンにのって20分、ダッハウ駅からもバスで10分とアクセスしやすい場所にあるのでぜひ行って欲しい場所の一つだなと。
今日はここまでです。
今回は結構重い回になってしまったんですけど、次回はダッハウの帰りに寄った
ミュンヘンのことを書こうと思います。
読んでくれてありがとうございました✨